子供達が集まり始めたのは、おやつを食べ終わる、3時を回った時間だった。まだこの時期の太陽は天高く燦々と光り輝いている。昨日までは雨が降っていたが、今日は雲一つ無い晴天の蒼穹。子供達は久々の太陽の下で走り回っている。
少女は椅子に背を預け、子供達の姿を目で追っている。
幸いにして働かずに暮らしていける環境に身を寄せているため、今はこうして偶に子供達の面倒を見る保母さん代わりとして慕われている。それだけで十分だった。
結婚もしていない。当然だ、自分は人間ではないのだから。
子供達が手を真っ黒にして、走り回ってる。揺れる椅子の感触に心を傾けて、アイギスは想う。

――――――――――

彼はまだ世界の彼方に居るのだろうか。
あの日から、彼を待つ事は無くなったが、それでも想う事はある。何時かひょっこり帰ってきてくれるのだろうと、もう、心配は要らない。と。してはならない期待だが、そのことを考えるのが好きだった。
星の輝く夜空を見上げながら、どれかが彼だろうかなんて、想像する事もある。黎明の日を背負って、ぶすっとした表情で帰ってくると想像する事もある。それは愚直で幼稚な希望だったが、それを考えるのがアイギスは好きだった。
今としては全て良い思い出だった。その想いを抱きながら、新しい人生を始めたのだ。あの時の自分も、今の自分も変わらない。
幾つかの季節が巡り、暦が進んでいく。彼の居ない世界。それでも進んでいく。
細かい雨が、地面を、木々を濡らしていく。寒さも熱さも感じないが、それでもそんな気分にはなる。それが不思議で、何時も苦笑をもらしていた。
外を眺め、その景色を眺める。もう何年も生きているというのに、未だ彼の事は忘れない。それが未練なのかは判断つけ難かったが、それで良いとアイギスは考えていた。
ふと、彼の部屋に行ってみようと思った。そう考えたときは既に脚は向かっており、気が付くと彼の部屋の前。
変わっていない彼の部屋。行ってみようと思う度、掃除をする。そのお陰で埃の殆ど無い清潔で綺麗な状態を保っていた。

「智哉さん」

こぼれる言葉。それが静寂にこだまする。
当然、世界に奇跡なんて殆ど無く。死者は死者。過去は過去。それが現代に蘇る事は無く、終わった時はそのまま終わったまま堕ちていく。
それでもアイギスは好きだった。彼の匂いがするこの部屋が。
そして、決意を堅くするのだ。彼の生きた道を、私も歩いていこうと。そうすれば、彼が見た命の答えが見れると、信じて。
追いかける、ただその背中を。
何時か、自分が死ぬ。そのときに彼に笑って答えられるように。胸を張って彼に会えるように。彼に誇れるように、未来を向いて、過去を想いながら。それが未練というなら、それで良い。弱さと責められても、それで良い。

――――――――――

子供達が帰っていく。その後姿を眺めた後、アイギスは大きく溜息を付いた。
そして気が付いたときには朝を迎えていた。不意に襲ってきた眠気に身を任せようと思ったときには、既に眠りについていたようだ。泥のように身体が重く、まだ眠気が意識を包んでいた。
世界は薄暗く、太陽の光が雲に覆われているようだ。如何にも現実感を感じない。

「そろそろ、私の番なのですね」

当時の知人、仲間達は既に全員逝ってしまっていた。一足先に。そして自分が独りになった後。急に世界が目まぐるしく回り始めたのだ。気が付けば朝になり、日が暮れて、夜が過ぎ、日が昇る。最初は曖昧に、次第に頻繁に。
重い身体を何とか立たせ、大きく伸びをした。風が不意に身体を包む。気持ちが良い。

「もう、死ぬ」

不思議と思う。それは確信に近かった。
空を見上げる、雲は天空を隠し、光を遮ぎ続けた。あの先に、彼が居る。天空を見据え、外に出る。霧の様な雨が、風と共に身体を包む。雨と土の匂いがした。気持ちが良い。脈動する自分の命を感じながら、生きているという実感に身体を振るわせる。

「智哉さん」

貴方の所へ、ようやく行けそうです。貴方の隣に、ようやく行けそうです―――

――――――――――

やがて雲が晴れる頃。彼女の遺体が太陽の光に包まれる。表情は柔らかで、安らかで、見る人全てを魅了し、幸せにしてしまいそうな優しげな微笑。
そうして、アイギスという名の乙女は死を迎えた。
今、此処に全ての物語が幕を下ろす。誰も、それを知らない。

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