「……てめぇ」
呻く様に怒気を吐き出す智哉の視線は、目の前の女に収縮されていた。傷ついた美鶴の髪を片手に掴み、剣の刃をに舌を這わせている、全く美鶴と同じ容姿、声をした女に。
「はは…貴方が来ないから私が美味しく頂いちゃったわ」
哂いながら、美鶴に唾を吐きかける女。言葉を出さない智哉に視線を戻し、卑屈な含み笑いを浮かべる。
「…どうしたの?貴方の欲望を、私が叶えてあげたんだけど。ふふ…あははははっ!感謝で言葉も出ないかしら?」
女は高々に笑い出した。それが智哉の意識を刺激する。同じ声、同じ容姿、それだけでも殺したいぐらいに腹が立つのに、それでいて美鶴に手を出すなど、と。
彼自身も一歩間違えれば、目の前の女と同じになっていたのだと思うと、さらに憎悪が増大する。
「あぁ、無いな。だから…死ね!!『美鶴は、俺のモノだっ』!!」
叫びが意思を具現化する力となり、ソレは闇と化し一つの貌を創る。目覚めた貌は死の世界を作り出し、決戦の場となっているタルタロスのホールを一面の黒に塗りつぶす。
「…タナトス!!」
闇から漆黒の死神が浮かび上がり、女に襲い掛かる。
「……っ!?」
だが、女は剣を一閃させ、タナトスを消し去り、薄ら笑いを浮かべ佇んでいる。逆に、智哉の左肘から先が凍りついている。
「あはっはっ!この女でも勝てなかったのよ?貴方が私に勝てるわけないでしょ!!」
女の笑い声がホールにこだました。女の身体が青く輝き、ペルソナの力が一面を吹き飛ばす。壁が、天井が、床が凍りついていき、銀世界を彩る。
「吼えてろ!」
続けざまに銃弾を撃ちつくし、タナトスを再び具現化させる。死の闇を目くらましに使い、四角から凍りついた左腕を剣ごと突き出す。
「……ペンテレシア!!」
だが、女のペルソナに吹き飛ばされ、氷の壁に叩き付けられる。受けた衝撃からくる胸の激痛と息苦しさで身じろぎ一つ出来ない。
「くそ…美鶴…ッ」
意識が朦朧としながらも、美鶴に手を伸ばし、呻くように這い進む。
「……何、そんなにこの女が返して欲しいの?」
つまらなそうに、冷ややかに智哉を見つめ、手に掴んでいた美鶴を投げた。嫌な音をたて、智哉の横に転がってくる。
息はしてなかった。だが、僅かに流れる鼓動が聞こえる。青白い顔が目の前にある。身体の至る所に血がこびり付いていて、右足はありえない方向に曲がってて、折れた剣の刃が腿に刺さっている。
「もう終わり?この程度で?」
美鶴を見つめている智哉を実に不満げに見下し、女はつまらなそうに溜息をついた。
「…………」
智哉は顔を床に伏せて動かない。凍った左手が震え、かちかちと音を立てる。その音に合わせるように身体から黒い闇が漏れ出していく、氷の部屋から反射されてくる光も映さないほどの暗黒が。
「……ま、ニュクスに喰われるか、此処で死ぬかの違いだし。私の願いが適わないのは残念だけど」
女が剣を智哉に突き刺した。だが、刺さらなかった。
「…?」
手ごたえが無いのを不信に思い、女は剣を抜いた。刃は半分消えていた。智哉に突き刺した刃は、智哉に届く前に闇に喰われていた。
「………っ!?」
その闇はゆっくりと剣を喰らいながら女の腕に伸びていく。女が慌てて飛びのいたときには、肘から先が消えていた。
「……は?」
血も吹き出さない両腕から智哉に視線を映す、智哉はただ、ふらつきながら立ち上がろうとしていただけだった。しかし、その身体から漏れ出している暗黒が、生き物のように大きくうねっている。
「……コレはおかえしだ。釣りはいらねぇ」
立ち上がったものの、足が縺れてまた直ぐに座り込んでしまう。出血と疲労で肩が小刻みに震えていた。
「…何つか、俺も相当にイカレてるな」
荒い呼吸を繰り返しながら、智哉は呟いて哂った。女の攻撃も、女自身も、そして美鶴を飲み込むように蠢く闇を見つめながら。
実に楽しそうに、嬉しそうに。心からこの状況を楽しむように。
愉快そうに、自虐的に哂っていた。
気が付いた。
退屈な毎日を退廃的に過ごして来た理由が。
SEESに参加して、タルタロスに登る理由が。
全ては自身への快楽が目的だった。
未知の探求に、快楽を求めていた。
ただそれだけだったのだ。
つまらない日々に、何の快楽も見出せなかった。
それがSEESに入って変わった。
一つ間違えれば誰かが死ぬ。
そのスリルは最高の快楽だった。
荒垣が死んだとき、美鶴は俺を気丈だと言った。
…違う、何時自分が、誰が死ぬのか。
ソレを考えて興奮していただけだった。
美鶴をレイプした時も感じた。
美鶴に告白されたときも感じた。
そして、今死に面した美鶴を見て、俺は確かに快楽を感じていた。
何もかもが全て、壊れていた自分の心を満たすためだったのだ。