湿気を含んだ空気に、埃と枯葉の匂いがした。コーネリアは何故だかそれに懐かしい感情を持ちながら、薄暗い庭園のベンチの上で足を伸ばして座っている。重く鳴る葉摺れの音に何気なく樹を見上げると、僅かな雲の切れ間から蒼が見えた。
それは届かない世界。天空の蒼。
吸い込んだ空気が鈍い痛みと共に身体に満ちていく。その痛みに耐えるようにコーネリアは強く瞳を閉じた。気持ちの整理なんてまだ出来ていない。それでも今は誰かと会おうとしている。それを進歩と言うのか、忘望と言うのか。どちらにしても引き千切られる感情を持ちながら、重いに引きずられながらも過去は捨てなければならない。そうする事できっと大切なモノを護れると信じて。

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義兄であるシュナイゼルから連絡を貰い、そして今に至るまでは色々あったような気がする。
離れていても何時も一緒だった。些細な擦れ違いはあれど、その思いは必ず。愛情は彼女の心に、安心は自分の胸に。大袈裟すぎるのかもしれない。だけどこうやって思い込むことで少しずつ、先へと進んでいけた。死に気を催す戦場でも生きていけた。
思い出が頭の中で再生されていく、彼女の声、彼女の表情。壊れた映像のように思い出が永遠と流れていく。時には冗談のように、時には真剣に。彼女の存在はコーネリアを縛った。

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幾つもの眠れない夜を越えただろうか。既に擦れ切れた精神を何とか自制で保ちつつ、一日を過ごしていく。
何時間寝たのかわからない、もしかしたら寝ていないのかもしれない。気が付くと胸に空虚を抱いたままベッドの上に座っていた。目の前には愛妹、ユーフェミア。
薄い光の幕に遮られているが、確かに彼女は其処に存在していた。

「……ユフィ」

何も言葉を発せずに、ただ彼女の愛称だけが息を吐き出すように漏れた。腕も、身体も動かせない、いや、動かないのか。白い光がユーフェミアの表情を遮り、全く解らない。

「……ユフィ、こっちにおいで」

何とかそれだけを言ったのだが、ユーフェミアは首を黙って横に振った。瞬間、携帯電話が鳴った。渋々ながら応答する。シュナイゼルからだった。
何を話したのか覚えていない。ただ、会う約束をしたのは確かだった。適当に話をあわせ、早々に電話を切る。そんな自分の対応に思わず苦笑してしまった。何も覚えては無いのだけれども。何故か。

今度こそ、ユフィを護ってあげるんだ。ユフィと一緒に居てあげるんだ。

ふとこみ上げた感情に違和感を覚えたのだが、すぐさまそれをかき消した。何故か思い出しては、考えてはいけないような気がして。
今度と云う意味。即ち、その前があるという事。震える身体。
目の前のユーフェミアは何も言わず、笑わず、ただ希薄な存在で其処に居るだけ。コーネリアはそれに気が付かない。

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静かな音をたて、小さな雨が降ってきた。この身体を、地面を、木々を打ちつけていくけれど。それも直ぐに収まる。だが、コーネリアの身体を濡らすには十分過ぎて。

「なんて格好をしてるんだ」

呆れた声。閉じていた瞼を開くと。目の前にはシュナイゼル。伸ばされた手が濡れた髪や身体を梳いていく。
それを一通り終えると、シュナイゼルはコーネリアの服を脱がし、巻かれた包帯や、取れかけているガーゼを一つずつ、丁寧に確認するように触れていく。

「兄様…」

放たれた言葉は、口付けによって遮られた。唇が触れるだけのキス。だが、コーネリアの言葉を塞ぐには十分すぎた。何も言わず、ただ行動だけで示したシュナイゼルの気持ちに安堵して、コーネリアは静かにその身を預けた。腕を回して丁度胸の辺りに顔を埋めると、少し湿った服の下から懐かしい兄の香りがほのかに香った。

――――――――――

「ユフィ」

何度目かの呼びかけで、漸く彼女は微笑んだ。優しく、丁寧に、暖かく。彼女は確かに、其処に存在していた。

「お姉様」

ユーフェミアは戸惑うように、だけれどもその手を伸ばした。コーネリアがそれに応えるように彼女の手を取ると、ユーフェミアは広げられたコーネリアの胸に飛び込んだ。何の体温も、質量もなかったけれども、淡い光を纏った彼女は力強くコーネリアを抱きしめた。

「お姉様…!」

「ユフィ…ずっと一緒にいよう。これからも、傍に居るよ。だから…」

コーネリアは自分の言っている事も解らずに、ただ涙を流しながら笑った。

「傍に居たいです。まだ、お姉さまと一緒に居たいです…でも」

此処は夢の世界。だからこそ。彼岸も此岸も重なりあえる。抑えていた気持ち。それが静かに溢れ出し低く響いていく。二人の声が重なって。
震える声で互いに求め合う。優しく甘く。解っているから、最後だと。消えていく思いを残すように。名前を声を気持ちを、互いの心に刻み込むように。だけど、それも崩れていく。

「嫌だ…ユフィ!」

光が弱まっていく。

「ごめんなさい、お姉様」

「嫌だ…」

「お姉様」

大好きです。

――――――――――

気が付くと、薄い朝日が部屋に満ちていて。それはまるで彼女が存在していた名残のようだった。身体が重い。当たり前だ、ナイフで身体を刺していたのだから。
血の喪失感とは別に、自分の一部が抜け落ちた喪失感。それを感じるほど、ユーフェミアはコーネリアを大きく占めていた一部分だったのだろう。
血は既に止まっている。コーネリアは所々部屋に沁みている血の痕を見つめながら、ベッドに座り込んでいた。

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傷は癒える。あれほど重症だったと言うのに、既に包帯もガーゼも数箇所を残すだけだった。
約束の時間まではまだかなり余裕があると言うのに、コーネリアは部屋を後にする。外に出ると灰色の雲が一面を覆っていて、今にも雨が降りそうな雰囲気を醸し出していた。
この上に…ユフィは居るのだろうか。
コーネリアは黙って空を見上げ、少し首を振って溜息をついた。雲の上にも、地面の下にも世界なんて無い。
庭園のベンチに座る。重く鳴る葉摺れの音に何気なく樹を見上げると、僅かな雲の切れ間から蒼が見えた。
届かない、世界。
確かなのは、ユフィと笑い合える日なんて、無い。その事実は、まだ癒されない心の傷を抉る。瞼が熱くなるが、じっと瞳を閉じ、瞑り、只管耐える。
代わりに雨が降ってきた。コーネリアの代わりに泣くように。冷たい、けれど暖かい大粒の雨が世界全てに降り注ぐ。

「なんて格好をしてるんだ」

暫くただ雨に打たれているコーネリアの前に現れた人物。

「兄様…」

言葉が出ない。けれどもシュナイゼルは静かに頷いた。濡れながら、ユフィの不在を確認しあう。永い時間、ずっと。コーネリアの問いに、シュナイゼルは根気よく答えた。長い時間、ずっと。
そして二人の言葉が尽きる頃。漸く雨の止む兆しが見えてきた。

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