部屋の中は真っ白な光に包まれ、外よりも明るく、眩しかった。部屋の外に出ないルルーシュの為に、コーネリアが真昼にも拘らず室内の明かりを点けたままだからだった。
ルルーシュは発狂して取り乱す、慟哭する事も無くなったが、それでも表情に生気は無く、何モノも捉えず、虚空を彷徨う視線は、消えそうな蛍のように弱々しい。膝を抱えたまま動かない体は、まるで壊れかけた人形のように其処にあり、部屋の明るさとは正反対に暗く存在していた。
コーネリアは何も言わず、ただルルーシュの傍に居るだけだった。かける言葉はかけ尽し、もう言うべき言葉無くなって、心の深海で自分の無力さを嘆き、ルルーシュの心の全てが彼の中に産まれた、何も意味の持たない自棄の空虚に閉じこもろうとも、コーネリアはずっと、傍らに、傍に居続けた。
彼方の空から吹き込む風がカーテンを揺らし、絶望に冷える部屋の中を駆け巡る。ルルーシュの沈んでいく心を否定し、引き上げるように。それはルルーシュの感情に直接訴えかけるようで。だが、それさえも彼は気が付かない。心は沈み、彷徨い、世界は内を向き、隣に、傍らに居続けるコーネリアの存在にすら、気が付かない。
どれ位の時が経っただろうか。日は翳り、太陽は沈んでいく。ルルーシュの心を表すかのように。暗黒は心寂しく、不安を煽り。宵闇は長く感じ、孤独を増長させる。だが、漆黒の夜が舞い降りようとも、醒めない夜は無い。太陽は沈み、一時の休息を得て、そしてまた舞い戻る。新しい一日と共に。人はそれを黎明、夜明けと呼ぶ。例え全ての生命が滅ぼうとも、世界は止まらない。それは変わらない。言うべき言葉は全て言った。やるべき事は全てやった。コーネリアは、ルルーシュが自身の力で浮かび上がってくると信じて疑わなかった。それが、無力で無能な自分の出来る、唯一つの事。

――――――――――

「お姉様、ルルーシュは、元気ですか?」

「うん、良くは、なっていると思うよ」

歯切れの悪いコーネリアの返事に、ユーフェミアは泣いてしまった。
ユーフェミアがアリエス宮に訪れた時、ルルーシュはまだ自分の空虚から抜け出せずにいた。ユーフェミアは何も言わず、ただ遠くから見守り続けた。大切なのはそう云った気持ちではないと思っていたから。必要なのはそう云った行為では無いと思っていたから。そもそも、ユーフェミアには手段が無かった。
部屋に入り、虚無の人形となったルルーシュ観察、する。其処にあるのは、孤独にもがく残骸。それでも尚、何かに縋ろうとする、何かに揺れる消えそうな篝火。ユーフェミアは、其処に居る自分を想像して寒気を覚える。そう、コーネリアが居なくなれば、自分もああなってしまうのだろうから。彼は必死に絶望の誘惑と戦っているに違いない。それは途轍もなく甘美で心地の良い、蜜。
手段が無くても、無力でも、彼の力になりたい。それでも、彼が闇、空虚から這い上がる手助けをしたい、どんな些細で、小さな事でも、その一心がユーフェミアを突き動かす。

「ルルーシュ」

穏やかでも無く、優しくも無く。特別な感情を置いて、ユーフェミアはただ緩やかに、声をかけた。その言葉に反応を示したルルーシュの瞳は、コーネリアの、ユーフェミアの思っていた通り、微塵の曇りも無く、美しい紫。

「…何しに来たんだ?」

「………」

でも、結局は何も言えずに黙り込むユーフェミア。その彼女を見ながら、ルルーシュは侮蔑の笑いを浮かべた。だが、その言葉に皮肉の感情はこもっていなかった。

「いいよ。気休めなんて。これは、俺の問題。だから、大丈夫」

「…え?」

「ユフィには、関係無いって言ってるんだ」

辛辣なルルーシュの言葉。だがその一方で、意志の強さを感じる。怒りか、悲しみか。またその感情は何処に向けられているのか。コーネリアもユーフェミアも解からない。もしかしたら自分達にも向けられているのかもしれない。だが、皮肉にもそれらの感情がルルーシュを絶望と空虚から自身の心を引き上げる。
コーネリアも、ユーフェミアも同じことを思っていた。私の気持ちで、私の両手で、彼の為にしてあげられる事は無いのだろうか?抱きしめても拒絶され、その泣いている気持ちすら打ち明けられず、言葉通り何も出来ない。だから、傍に居続ける。静寂の世界に耳を傾ける。それだけで良いと。きっと近い内に来る何時の日か、彼が心を開く時に傍に居る事が出来れば、それだけで良い。それだけを想う。

――――――――――

コーネリアの部屋は意外にも女性らしい部屋。そう言うと彼女に滅法怒られそうなので言わないが。ぬいぐるみといった物は無いが、家具やカーテンはシックな色調で纏められていて、だが無地で統一されている。それは機能美を追求した彼女のこだわりなのだろう。正反対にユーフェミアの部屋は典型的な女の子らしく。ぬいぐるみや花が部屋を彩り、可愛い模様のカーテンが風に揺られるたびに踊っている。
一方の自分の部屋はどうだろうか。荒涼としており、言い様には殺風景とも取れる。部屋の様相は性格が出るものなのだろう。そんな結論が浮かんでくる。無駄な物が一切無い、色調にも乏しい自分の部屋。自分は此処まで冷めた人間だろうか?と以前は疑問に思ったこともあったが、結局そうだったな。とルルーシュは心の中で一人ごちた。今、無限の荒野を漂流している自分にとって、この世界は相応しい。
ルルーシュはだいぶ落ち着いた様子になって来ていた。コーネリアやユーフェミアに話しかけられも邪険にはせず、だが何も言わない。必死に何かを考えているようであり、逃げているようでもあり、もがいているようでもあった。だから、彼女達も必要以上にも話しかけず、だけど傍らに居続けた。周りから、誰からも何を言われようとも。

「どうしてだろう…さっきまでは憎くて、憎くてしょうがなかった」

ルルーシュは暫くして呟くように、だけど二人に話しかけるように喋り始めた。視線は二人を見ているようで、だけど何処にも向いてはいないようにも見える。その様子に多少の違和感を感じながらも、二人は向き合ってそれを聞く。

「憎い…何が何だ?」

「………父上が。この惨劇を生んだ何処かの皇族が。ブリタニアの全てが」

「ルルーシュ……それは、私達も入っているのですか?」

ユーフェミアの問いに、ルルーシュは暫くの沈黙の後、僅かに首を縦に動かした。

「……ルルーシュ。お前がそう、思うのも、無理は無い」

コーネリアはその意見に対して、言いたい事が幾つか思い浮かんだが、それを心に押し留め咀嚼するように、嚥下するように頷いた。

「でも、この数日間。姉上やユフィが居ないときに、シュナイゼル兄さんやクロヴィス兄さんと色々話したんだけど…」

ルルーシュは少し言いよどむ。コーネリアとユーフェミアは何も言わず、瞬き、呼吸もせずに、ルルーシュの言葉を待つ。

「…ごめん、良くわからない。でも、もうどうでも良いんだ」

ルルーシュの言葉が二人には理解出来なかった。ユーフェミアは全く解からず、その自暴自棄とも取れる言葉に涙を流す。コーネリアはルルーシュの言いたい事が漠然とは理解できるのだが、それを言葉としては表現できなかった。
ルルーシュは大きく伸びをして、そこで初めて二人に視線を合わせた。微笑を浮かべて。

「姉上、車椅子を持ってきて欲しいんだ」

「何故だ?」

ルルーシュは突然立ち上がり、突然立ち上がり、コーネリアの肩を掴んで声を上げた。

「ナナリーを散歩に連れて行きたい。早く」

急かすルルーシュに、慌ててコーネリアは部屋を出て行った。

――――――――――

三寒四温の続く日中、空は馬鹿馬鹿しいくらいに晴れている。白い雲の浮かぶ蒼穹。小さなアリエス宮の庭園を歩く。見上げる空は広く、大きい。その下でルルーシュとナナリー、二人だけの家族はただ歩く。道なき道を。ぞくりとするような風が何度も、何度も何度も二人を往復し、それでも止まらない。それはまるで感情の波のようで、それでいて水面に揺れる木の葉のようで。美しい花を咲かせていた樹も今は枝だけ。可憐に咲き誇っていた彩色が今は無色。寂しさの風が流れる空間に、何一つ形を持たないモノが埋もれていく。それを祝福するように降り注ぐ陽光の筋。それは、ルルーシュの気持ちそのものかもしれない。

「ナナリー」

「お兄様、私は、大丈夫です」

「……」

「私は、お兄様とずっと一緒に。だから、お兄様――」

――――――――――

「俺は、日本に行きます」

ルルーシュの言葉に、コーネリアは顔面を蒼白にして、怒りと混乱で唇が震えていた。

「…嘘だろう?ルルーシュ」

信じられない、信じたくないと言わんばかりの表情で聞いてくるコーネリア。ルルーシュは首を振って答えた。

「…ごめん」

ルルーシュは頭を下げた。
本当の姉みたいであり、母親としての顔も持ち、何時だって傍に居てくれた人。厳しくて、少し怖くて、それでも大事な所で示してくれる人。
でも、ごめん。

「嘘―」

「嘘、じゃない」

「……ルルーシュッ!!」

思いっきり壁の叩く音。それはもう、壁を打ち破ろうとしか思えないほどの全力。実際、壁には穴があいていた。そしてルルーシュは気が付くと、思いっきり押し倒されていた。背中から思いっきり倒れ込み、思わず咽てしまう。

「もう、決めたんだ。勝手で悪いけど、でも、決めたんだ」

コーネリアは答えない。それが、怖い。コーネリアを傷つけてるって分かるから、それがどうしようもなく怖い。大事な人を裏切っている。
それでも、今抱えているこの思いよりも、大切なものは、無い。

「私や、ユフィ。兄上やクロ―――」

「決めたんだ」

コーネリアが深く目を瞑り、ルルーシュの両手を強く握る。それをルルーシュは強く握り返した。自分の想いを、決意を告げるように。再び目を開いたコーネリアの表情は、姉としてではなく、一人の女性としての顔だった。本当に、ルルーシュよりも長く生きてきた。大人の雰囲気を持ち合わせた顔だった。
その表情に、母上を重ねてみてしまう。

「そうだな。お前が、自分で決めたんだよな」

「―――っ!?」

泣いて謝りたかった。土下座して謝りたかった。裏切っている。言葉通り、踏み躙っている。彼女の想いを、苦労を、決意を。それを理解しながらルルーシュは、コーネリアから、去ろうとしている。それを理解しているから、一層辛い。

「嬉しいよ」

たった一言。コーネリアは笑った。それは、紛れも無い本心。
でも、何で、泣きそうなんですか……姉上。

「でも、寂しい、な」

コーネリアは潤み始めた瞳を隠そうともせず、ルルーシュを見つめている。ルルーシュは見てられなくて、それでも、瞳はそらさなかった。ルルーシュにとって一番身近だったのかもしれない。そのコーネリアの想いを…離れようとしている。

「全く、そんな大切な事を、決意を、私に相談しないとはっ!」

頭を叩かれた。コーネリアは泣いていて、笑っていた。何度も何度も。痛くなくて、痛くて、それでいて暖かくて。涙が溢れ、流れていく。痛いからだ。頭を叩かれて、痛いからだ。

「馬鹿…お前は、大馬鹿だ」

ルルーシュは最後に思いっきり殴られて、抱きしめられた。優しく抱き寄せられた。甘い香り、懐かしい感触。昔は、今よりも幼い頃よくこうして抱きしめられていた。それで、ユフィやナナリーと喧嘩になったり、三人で喧嘩していたり。当時から、ルルーシュにとって姉は姉だった。強くて、格好よくて、頭も良くて、憧れだった。憧憬だった。楽しそうで何時も笑っているコーネリアが、ルルーシュは大好きだった。

「ルルーシュ、お前は良く出来る子だ。ナナリーと一緒に、上手くやって行けるさ。私が保証する」

コーネリアの涙が落ちる。一つ、二つと。その涙を拭うと、ルルーシュはコーネリアの唇にそっと、自分の唇を重ねた。

――――――――――

姉上。俺が、よく出来る子だって言うなら、それは姉上のおかげだよ。姉上が、一緒に居てくれたから、俺は――――

――――――――――

コーネリアは独り泣いていた。もう限界だった。想えば想うほど、頬を伝う、流れる涙は止まらない。自分より、ユフィより、義理とはいえ、兄姉が護ってくれるこの宮殿よりも、ルルーシュは一人、いや、ナナリーと歩いていく事を選んだ。それは成長かどうかはわからない。でも、きっと彼の選択は間違っていない。そう信じたい。だから、笑っていたかった。でも、それは無理だった。
冬の日差しは暖かいけど、風がとても冷たくて。それでも風を浴び、日差しを受けコーネリアは蒼穹を仰ぎ見る。微笑んで、笑って、上を向く。終わった。何かが、終わった。風が流れる。優しくて、切なくて、少しだけ悲しい調べの様な風が。

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