「……チェックメイトだ、コーネリア」
コーネリアが気が付いた時、既に彼女の後頭部には銃が突きつけられていた。
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森の中に入ると、少しだけ涼しくなった。何故だか、思わず溜息が漏れていく。足取りが重い。いや、理由は分かっているのだ。だが、その理由の元が分からない。
「…ゼロ」
「何だ」
思わず声に漏れてしまった。返って来るのは機械的な、だが威厳に満ちた声。だけど、その肩は大きく揺れた。
「……何でもない」
「?そうか」
こちらを向かずに、また歩き出す。私はその後姿を見つめながら後に続いた。私は今、ただこの男の後ろについて歩いている。何もせず、何もされず。ただ一緒に歩いている。不可解。
私はあの時死を覚悟した。後頭部が鉄の感触を覚えたときに。だが奴は、私に何をするわけでもなく、ただ着いて来い。と一言だけ呟いた。
倦怠な空気が私の周りを漂う。胸に漂う疑問が沈殿していく。散歩のように、二人で歩く。目の前の男は敵のはずなのに、ブリタニアを敵視しながら、その反面不快な行動の多い、謎の男。ユフィの時だってそうだった……
「…疲れているのか?」
呆けていた私の頭に針を刺すように、奴の声が脳裏を響かせる。
「そんなことなど無い。ただ貴様の思考が読めないだけだ」
反射的に口が動いていた。私の言葉に、奴は肩を震わせて、やがてまた歩きはじめた。
木々の間から心地良い風が吹いてくる。その風から、花と土の香りがした。目の前の男はそれを感じているのだろうか。そんな事を考えている自分が、不思議だった。
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冷たい水が喉を潤す。微かな甘みが口の中に広がっていく。日差しは強いけれども、先程よりも涼しく、強く風が吹いていた。空気が澄んでいるのが良く分かる。
「……お前は飲まないのか?」
自分でも意外な問いに、奴は面を喰らったようだった。当然だ、敵に正体を明かすなど、道化も良いところだ。
だが、仮面は取れた。彼の呟きが、私の声無き声が、風の中に吸い込まれていった。
「………」
「あ、ル、ルーシュ」
他人の様な自分の声。眩暈がする。全身が高鳴り、目頭が熱くなる。彼は何も言わず、ただ水を飲み干して、笑った。
熱い日差しの中、眩い陽光に、幼い日の幻想が浮かぶ。あの頃の夏も、暑かった。でも風は涼しくて、駆け回る義弟達を微笑ましく眺めていた。湿った土の匂いと、渇いた花の香り。騒がしいぐらいの蝉の鳴き声と、耳を澄ましたくなるような風のささやき。
気が付けば雫が頬を伝い零れていた。それはこの日差しよりも熱かった。
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体中に風を浴びる。周りは暗く、星の微かな光と、月の僅かな光しか世界を照らすものは無い。目の前の彼の顔すらもあまり見えない。
「誰かに見つかると、俺は…」
ゼロに戻らなくてはならないと。火を焚こうとしたが、彼にそう遮られた。今だけは、ただのルルーシュだと。ゼロでもなく、私の弟だと。その時の表情は、まさしく昔の、顔だった。ユフィやナナリーと一緒に居たときの、楽しそうだけど、何処か疲れていたような。でも笑っていた。
聞きたいことはたくさんあった。たくさん出てきた。けれど彼は笑うだけで、何も答えない。
二人で見上げた空には雲は一つも無く。真っ黒に突き抜けた夜空に、星が光を彩り、月が浮かんでいる。それは何時も見上げていた空よりも美しく思えて、儚く見えた。
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空気は優しく強い、自然の香りに包まれていた。微かな風から伝わる木々のざわめき。地平線も水平線も見えず、鬱蒼と茂る森しか映らない。そして、隣に座っているのもう二度と会えないと思っていた、弟。
諦めていた、嬉しくも、愛しい一時。
「…姉上」
初めて、彼が私の事を呼んだ。その声は、機械で遮られてなく、生のままの声。彼はそのまま、私の肩にその顔を押し付ける。
「…ルルーシュ?」
「……ずっと、貴女の事を想ってました」
彼の言葉を、私は何も言わず、黙って聞いている。彼の身体に力が篭る。私はそれをほぐす様に、優しくその髪を撫でた。
「姉上」
「…何だ?」
視線を向けると、目の前にはルルーシュの顔。知らずの内に押し倒され、両肩に彼の重みを感じる。胸が高鳴る。頬が熱くなる。身体が硬くなる。瞳が止まる。
「……ずっと好きでした。多分今も――――」
その瞬間。視界が止まった。意識も止まった。思考も止まった。世界が消えた。
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風の音。花の香り。土の匂い。木々のざわめき。頭上には遠い夜空。広く、遠く、暗く、偉大。
自分にはまだ、やるべき事がある。もう、引き返せない。今日の出会いで止まっている暇は無いのだ。たとえ、自分自身がそれを望んでも。
明日の朝、彼女は死ぬだろう。それは悲しい。とても悲しい。だが、今更悲しみに溺れようなど、身勝手な事。振り払って、振り切って、進まなくてはならない。
だけど、誰もいない今だけは――
胸を切り裂く痛みに身を任せる。こみ上げて来る悲しみを受け入れる。瞼が潤んで、視界が滲み、揺れる。泣いた。無様なほどに泣いた。自然の雰囲気に抱かれて、泣き続けた。止め処なく涙を流し続けた。
この想いをなくすかのように、この後悔を消すように、この苦しみを忘れるかのように。