目の前には林立する墓石の一群が広がっている。陽光を浴び、鎮座する墓石のそれぞれは、新旧色や形、多種多様だった。
吐く息が白く、何処か濁っている様にも感じた。周りにそびえる木々は葉を殆ど落とし、地面に赤や黄色に彩っている。
日も昇りきらない冬の始まり、頂一面に見える墓地のは不気味な静けさが漂っていた。
コーネリアは、大きく深呼吸をし、冷えた空気で肺を満たした。長い石段を登ったせいか、胸の芯にちくりとした痛みがある。
天には雲一つ無い蒼天。其処から差し込む木漏れ日は、この墓地には似つかないほど爽やかだった。枯れた木々の枝の間から、光が割れて大地に降る。その空に浮かぶ、未だ昇りきらない太陽。

あぁ…何て遠い。

心の向くままに、墓地を進む。まだ一度も来た事は無かった。初めて目指すのは愛しき妹の墓。そう、愛していた。心の底から。誰よりも愛していたと自負できるし、愛されていたという自信もあった。
墓地を抜け、更に枯れ木の並木道を奥に進むと、ひっそりと肩身を狭くしている墓石があった。何をするわけでもなく、暫く其処に立ち尽くす。やがて、風に混ざる、一つの幻想、愛しき妹、ユーフェミアの幻想がコーネリアの眼前に白く浮かび上がった。彼女の表情は笑顔だったり、怒った顔であったり、多彩な彼女の表情が浮かんでは消えて、また淡く冬の景色に溶けていった。

「ユフィ」

呼びかけると、幻想は僅かに微笑んだ。その笑顔がとても綺麗で、美しくて、見とれるぐらい素敵だった。コーネリアは心の底に浮かんだ感情を唇とともに噛み殺す。
忘れたくなる様な表情でイレブンを虐殺していくユフィの姿を思い出し、それから目を、想いを逸らしたくて強く拳を握り締めた。
あの時の悔しさと悲哀を臓腑の奥に飲み込む。何も出来なかった。彼女を目の前にしてただ恐怖を畏怖を感じて立ち尽くすだけだった。

「………」

唇から血の味がする。そんな心境とは正反対に、幻想のユフィは楽しく自分の幻想と戯れていた。今よりも少し昔の二人。夢や希望を無邪気に信じ込んでいて、それさえあれば世界はきっと平和に、皆が幸せに暮らせると、未来を変えれると疑ってもいなかった彼女。
周りの人間は嘲笑っただろう。世間知らずの妄想、夢物語だと影で罵倒しただろう。だが、彼女は変える寸前だった。このエリア11を、本当に変える所だったのだ。それはきっと、彼女以外には出来ない、とても誇らしいこと。


――――――――――


「お姉様……」

信じた道を進み、それを成し遂げようとしたユフィ。彼女はコーネリアの腕に抱かれて寂しげな笑顔を浮かべていた。胸には熱く焦げる悲しさと、激しく荒れる怒りが渦巻く。

「ゼ…ロ………、ご……な、さい」

既に声は掠れて殆ど聞き取れなかった。ただ、最初と最後の言葉だけは聞き取れた。次第に冷えていく彼女の亡骸を抱きながら、コーネリアは胸に満ちる悔恨と傷痕の激情に身を任した。


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それはナナリーの為か、ルルーシュの為か、もしくは二人の為か。自分の信じた道を貫き、それまで生きていた世界と決別した。これから先は今まで以上に大変だろうし、思ってる以上に辛い日々が始まると解かっていた。それでも一欠けらの勇気と、一握りの想いと、抱えきれないほどの理想を剣に。誰にも譲れない愛を盾に進もうと邁進した人生は、何処で間違ったのか。
鼻に突き刺さる腐臭と血臭。それに体に不快感として纏わりつく血の感触で意識は現実に引き戻された。自分の手にはマシンガンが握られていて、目の前には銃を向けるルルーシュ。
何があったのか?何をしていたのか?次第に目醒めてくる意識が思い出させる。まるで自分ではない誰かが、自分によく似た人物が凶弾を放つ。泣き叫ぶ人々。それはまるで地獄のような光景。

「…ぁ……あぁ」

頑なに無言を貫き通すルルーシュに跪き、泣いた。ただ無様に泣き叫んだ。手を突いた地面は酷く冷たく、死臭に呑まれる叫びは掠れ、遥か昔から抱いていた想いは溶けていく。服は血に染まっていき、体の中から血が抜けていき、その喪失感に背筋が震えた。

「……ユフィ」

呟いたようなルルーシュの呟きに、答えようとして血塊を吐き出す。鉛のように重たくなった瞼を何とか上げて、彼を見つめた。
彼は、泣いていた。何に泣いていたのか、もう何も考えられない。感じられるのは、後悔と絶望と、無念と憎悪と……
再会した時から燃え上がった幼い頃の想いは、意識を割って溢れ出す。それは言葉になったのか、それを聞くものは独り。
私は貴方が好きです。
私は貴方を愛してます。
他の何より、他の誰よりも、ユーフェミア・リ・ブリタニアは、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを愛してます。
ルルーシュ、貴方は……?
答えの代わりに、乾いた風が強くユーフェミアの身体を流れた。


――――――――――


ゼロ…ルルーシュ、ごめんなさい……私は


――――――――――


ルルーシュは誰も居ない石段を登っていた。何時ものように墓地へ向かう。数日前、義妹を手に掛けてからは、こうして墓地に足を向けるのはほぼ毎日の日課だった。
しんとした墓地は酷く静謐で、風に流された枯葉が乾いた音をたて宙に舞う。既に日が昇った初冬の朝には、鳥の声すらも聞こえない。風が少し強く吹き、被っている帽子が飛びそうになる。
ただ、制御の効かなくなった左眼だけが、燃えるような音を立てているような気がした。

「……コーネリア」

平日の朝、無人だと思い込んでいた墓地には、珍しく、だがそこに居て当然のような先客が来ていた。墓前に蒼穹を見上げている彼女の姿は、とても弱弱しく、だが凛とした気品に満ち溢れていた。
久しぶりに、遠い時を経て眺める義姉の後姿を見つめるルルーシュの心には、懐かしいと言った感慨よりも、深い後悔と悲しみと苦痛が浮かんだ。戦場では不倶戴天の敵として立ち塞がっていた彼女。だが、今、その背中からは言葉に言い表せられない悲哀と後悔が立ち上っていた。

「………コーネリア、様?」

帽子を深く被り、声色を一生懸命に変えて、彼女に声を掛けた。魂が抜けているように呆けていた瞳に光が差し込む。空を彷徨っていた視線を此方に向けて、焦点を結んだ彼女は、少しの驚きと、安らかな微笑を浮かべた。

「…いかにも、私はコーネリアだが。急用か?そうでなければ…」

「いえ、そう言う訳ではないです。ただ、私もユフィ……ユーフェミア様のお参りに」

ルルーシュの言葉に、今度こそコーネリアの表情に驚きと懸念が浮かんだ。ここは極一部の者しか知らない、彼女の墓。そう、本当に誰も知らないような場所。

「あ、いえ、私は……」

「………いや、済まぬ。余計な詮索をしてしまったようだ」

コーネリアは少しの間、深く瞳を閉じた後、そう一言だけ言った。再び瞳を開いた彼女の横顔にはもはや何も浮かびはしなかった。俺はコーネリアの気配りと優しさに、複雑な思いを抱きながら、黙祷を捧げた。


――――――――――


「…ユフィのお墓にお参りに来てくれたのか?」

「はい、私は以前からユーフェミア様にとてもお世話になっていたので…毎日の日課なんです。生前迷惑ばかり掛けてしまって、これ位の供養は……」

「そうか……これだけ手入れされているのも、全て君のおかげなのか…ユフィに変わって礼を言う」

「い、いえ…とんでもないです。私がしたくてしてるのですから…」

複雑なこの思いは更に渦を大きく巻き、荒れそうなほど蠢いていた。ここに来て自分の細い神経が嫌になる。最大の、二度と無い好機。

「……もう遅いが、忠告はしてやる。人の温もりを知った獣は、野生に戻れないぞ」

C.C.の言葉が深く胸に絡みついていた。

「……君は、ユフィと親しかったのか?」

物思いに更けていた胸が一瞬高鳴る、だが、その心配は杞憂に終わった。自分に質問するコーネリアの表情は微笑。面とはじめて見たその顔は、恐ろしいほど美しく、それは寂寥、辛苦、艱難などの、感傷の全てを己の胸の裡に溜めこんで生きる人間に備わる、細い硝子の様な美しさだった。芯のある美しさと、凛とした心持ち、それに強さのある優しさと陰りのある美しさ。

「そう言った訳ではないのですが…」

内心の動揺を抑えて答えた。頭の回転が鈍い。そう感じてはいたが、何も出来なかった。だがコーネリアは馥郁の浮かびそうな微笑だけを返答にして、無言のまま立ち上がった。彼女の紫髪が肩にかかり、僅かに揺れ、引き締まったしなやかな体つきが目立った。朝の光と風を浴びる彼女の姿は絵の一部分のように綺麗で、儚さと明るさを併せ持った聖女のような姿。

「……彼女は、ユーフェミア様は、私の光でした」

ルルーシュは帽子を更に深く被りなおして呟く様に言って、墓石に向かい合った。頑なに閉じた扉のような背中を、コーネリアは見つめた。

「……そうか」

コーネリアの声は、僅かに擦れていた。まるで、無理に絞り出した声。振り返って見たコーネリアの瞳には、僅かな疲労をたたえていた。

「……コーネリア様。私は最近思うことがあるんです。私と言う人間は、この世に生を受けて、今まで何を成し遂げたのか、と。何か一つでも、それがどれだけ些細で、小さな事でも、他人に誇れる何かがあるのか、私には解からない…」

それは、ルルーシュの本心だった。

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