アリエス宮の片隅に、小さな温室がある。私とルルーシュは其処の中で二人肩を寄せ合い座っている。微かな天井の穴から、星の輝きが見える。
ルルーシュは目を細めて何処か遠くを見つめている。その視界に私はいない。それがどういうことか、私は解かってしまっていた。泣きたい、胸を満たしていく寂寥に泣きたいくらいの悲しみが満ちている。でも、泣かない、泣けない。だって、ルルーシュは泣いていないから。
ルルーシュが、今はとてつもなく愛しい。何時でも一緒だったのに、それが当たり前だったのに。視界が涙で霞んでしまうほどに、愛しい。だって、今日が彼と過ごせる最後の夜。ルルーシュが去っていくと知った、今日が最後の夜。

「ユフィ」

「なーに?」

不意に呟いた言葉に振り向いて返事をする。ルルーシュの瞳には私の顔がある。
私は、涙を流していた。身体が硬まってしまう、思考が真っ白になってしまう。それでも、何とか、頑張って頑張って、極めて何時もどおりに、何時もどおりの平静を演じようと努力する。出来てないとわかっていても、やるしかなかった。だって、その瞬間に、ルルーシュが消えてしまう気がしたから。

「僕、ブリタニアを出て行く」

ああ、耳を塞いでしまえば、聞かなければどれだけ良かったか。その言葉を理解するよりも早く、身体が動いた。望むべきでない言葉。聞きたくなかった、言葉。
でも、ルルーシュは言った。告げた。当たり前のように、何でもないように、気にする素振りも無く、それでも、既に確定した、覆らない事実。
挨拶のように気軽で、宣告するような冷徹さで、ルルーシュは、私に別れを伝えた。その声に、悲哀も、絶望も、寂寥も、無い。

「……どうして?」

聞くつもりは無かったのに、言葉だけが勝手に出て行く。

「どうしても?」

「ああ、どうしても」

その言葉に、揺るぎはおろか、感情すらない。わかっていた答え。もう、決まっている事なのだ。ルルーシュが、私がどう感じようと、どう思おうとも、この結末だけは変わらない。
それでも、見苦しく、私は何かにしがみつこうとする。そんな自分を、抑えきれない。

「ルルーシュ、約束したでしょう?」

私の言葉に、ルルーシュは怪訝な表情を隠そうともしない。その瞳。何よりも綺麗で何よりも高貴。静かな麗紫の眼。鏡面より滑らかで、王よりも荘厳。そのルルーシュの瞳。それは私の知っているルルーシュではなくて。でもルルーシュで。それがとても辛くて、とても悲しい。

「私と、結婚してくれるって。お嫁さんにしてくれるって」

満面の笑顔。今出来る精一杯の満面の笑顔を彼に向ける。ルルーシュは一瞬目を開いて、そして視線を逸らした。
辺りは暗く。その闇が私とルルーシュの距離を遠くしている気がした。強烈な、抗えない悪寒が体中を支配する。鼓動は爆発してて、汗を留まる事無く噴出させていく。
耐え切れなくて、ルルーシュの温もりを感じたくて、手を伸ばした。戻らない思い出にしがみ付くように。この小さい手で放さないように。でも、彼の身体は、冷たい。
涙が零れていく。無意識に感情が溢れて、止められない、止まらない。泣いてもいない、嗚咽を漏らしてもいない、慟哭もしていない。それでも、この涙だけは、滂沱だけは留まることなく流れていく、零れ落ちていく。

「だから、ルルーシュ」

駄目、言ってはならない。彼を苦しめるだけ。ルルーシュを更に突き落とすだけ。それでも、言う。血を吐くように、叫ぶように。

「行かないで…行かないでよ!」

切実な願い。声は震えてて、しっかり言えていたかどうかも判らない。流れ続ける涙のように、抑えきれないくらいに膨らんだこの思慕を、恋慕を吐き出す。
今まで小さく胸の奥に閉められていた想いが、心を、胸を、身体を食い破って具現化した。涙となって、叫びとなって。

「行かないで…ルルーシュ。行っちゃ、嫌ぁ……」

「何で」

一言だけ呟いたルルーシュの声は震えていた。泣きそうな表情で。

「好きだから。ルルーシュが…だって、だって、大好きだから」

紛れも無い、本音。それ以外に、理由なんて無い。

「………ごめん」

仕方ない。もう決まった事だから。そう、ルルーシュは言った。その言葉は、絶対的な終焉。

「いやだよ、嫌嫌嫌嫌ぁ……」

膝を折り、倒れ込むようにルルーシュを押し倒した。もう、何も考えずに泣き続けた。ルルーシュの胸に顔を埋めて。ぎこちなく背中に回されたルルーシュの両腕が、優しく私を抱きしめた。その安心感が、更に悲哀を増幅させる。嗚咽が、慟哭が、堰を切ったようにあふれ出す。あやすように添えられる、頭を撫でる、背中をさする、その手から伝わる優しさ。それが嬉しくて、悲しくて、もう何も判らなくて、何も考えられない。

「ごめん…ごめん」

囁かれた震える声に、私はただ頷くだけ。

「でも、さようなら」

囁かれた震える声は、私の全てを抉り、蹂躙し、締め付ける。

「さようなら…ユーフェミア」

囁かれた震える声は、安らかで、緩やかで、遠い。

――――――――――

朝、温室の中で目を醒ました。

光がまぶしくて、太陽が輝いている。良い天気で、心地良い風が吹いている。気持ちの良い、本当に気持ちの良い日。

「あ…れ?」

ふと、掌に違和感。見てみると、一枚の紙。意識のはっきりしない頭で、眼でそれを読む。

―――僕も、好きだよ。ユフィ―――

文字は震えていた。滲みのついた紙はくしゃくしゃで所々破れていた。でも、丁寧に、誠心誠意が込められていると、一目で看破できた。
ただそれだけ、ただそれだけの、文にもなっていない文章。それでも、私は泣いた。泣き崩れた。みっともなく大声を上げて慟哭した。
温室を出て、アリエス宮を駆け巡り、皇宮内を奔りめぐる。誰かが何か言っている。でも、気にせず走り続ける。涙を流しながら、周りの景色を歪ませながら。そして、戻ってきた。温室内に。遠くにお姉様の声を聞きながら、私は瞑目する。
昨日の夜。別れの夜。告白の夜。あの時の想いは、悲しみはまだ胸の中。散った想いも、まだ胸の中。別れも、想い出も、この場所に、この心に。きっと、ルルーシュの心にも。
目を開いて、天を見上げる。空を眺める。暖かさを身体に受け、涙は煌く。良く晴れていて、太陽の反射は眩しい。それでも、太陽を見つめる。それは、少し前とは違った景色。そして、踏み出す一歩は新しい一歩。

ルルーシュが大好きだから。
僕も、好きだよ。ユフィ。

だから―――
何時かまたこの場所で、貴方に会いたいと思います。

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