智哉の気分は常に最悪だった。

空を見上げると晴々していて、風が冷たく、気持ち良い。もう直ぐ秋を迎えるこの季節は好きだった。だが、それでも智哉は苛立ちを感じていた。自分に苛立っていた。常に自分の中に上手く説明できない、言いようの無い不可解な気持ちが漂っている。それはきっと大切なもの。それが何か、理由もわからなかったが、そう感じていたが、説明する方法も言葉も見つからない。何もわからないのだから。またそういった気持ちを智哉は全く外に出さなかった。

挨拶もしない、滅多に喋らない。全くの無愛想だったが、それでも素行が悪いわけではなかった。言われた事はしっかりこなすし、何よりあの完璧であろう桐条美鶴と親しい(噂だが)と言う事で、本人のあずかり知らぬところで注目を浴びていた。だが、智哉は全く気にしなかったし、余裕も無かった。自分の事で手一杯だから。

智哉はやがて、その気持ちは本来自分には無いモノだと思うようになっていた。何時の間にか、この心に芽生えたモノ。大切で重要であるが得体の知れない。説明することは出来なく、それを考えると苛立ってしまう。だからこそ、それは自分に欠けたモノ、もしくは何処かで無くしてしまったモノ。そう考えた。では、何時それに気がついたのだろうか…?考えて考えた末に思い当たった。

それは、彼女に初めて出会ったとき。

 

 

最初に彼女を意識したのは、些細なことだった。

新入生歓迎会で挨拶する、桐条美鶴。その時の事は殆ど覚えていない、煩わしくて、苛々していたから。だが、彼女の姿は覚えていた。

 

 

「要するに、君に仲間になって欲しいんだ。君専用の”召喚器”も用意してある。君の力を貸して欲しい」
「嫌だ」

智哉は、視線も首も向けることなく答えた。覇気の無い声は、それでも精一杯の愛想だった。美鶴はそんな様子にひるむことなく、説得を続けようとようと言葉を続ける。

「君の力が必要なんだ」

美鶴と目が合った。真っ直ぐに見据えられた瞳。それはまさに自分が失ってしまっ
た物の塊で出来上がっているようだった。

「そう」

一方的に智哉は一方的に会話を打ち切ると、階段を上がって行った。一刻も早くこの場を去りたかったから。全てわからない。ペルソナ、シャドウ、何より彼女の存在自体が全く理解不能だった。その意思を見せつけるように、智哉は後ろを振り返らなかった。

 

 

君の力が必要なんだ

その言葉の意味がわからなかった。何故自分を必要とするのか、全く理解できなかった。「何故なんだ?」と聞かれてもわからない。答えようも無かった。

幼い頃、毎日の様に虐待されていた。義理の両親の表情は酷く歪んでおり、醜かった。智哉は毎日泣き続け、謝り続けた。それしかできなかったから。痛くて痛くて、我慢が出来なかった。

心が痛かった。身体が痛かった。

怒りも悲しみも無かった。惨めで痛かった。そんな感情から逃げるために自分の一部を捨てた。逃げたのだ。目を逸らして、耳を塞いで。

 

 

しかし、美鶴の勧誘はそれで終わらなかった。次の日から、毎日のように現れるようになったのだ。酷い時には、下校時にもついて来るぐらいだった。ゆかりのうんざりしたような、それでいて同情の浮かぶ表情が記憶に残った。

「あのな、雪南」
「いい加減、しつこいんだけど」

数日が過ぎた。二人の関係は智哉も直接的な拒否をしなかった為、傍目には仲の良い友人になってしまっていた。拒絶しなかったのは、智哉はそういった意思表示が出来なかったから。それとは別に、僅かばかりの興味もあった。自分と違いすぎる彼女に、その彼女が執着するものに。観察すればするほど、自分とは違いすぎていた。だが実際仲は良いわけではなく、逆に美鶴のことが憎くなっていた。自分が探し求めているもの。答えかもしれないものを無意識に振りかざしているように見えたのだ。自分に無いものを、持つ者を憎むこと。それは必然と言えるかもしれない。

 

 

「雪南は、今日この後の予定はあるのか?」
「俺の勝手だろう?アンタは逐一周りの人間に自分の予定話すのかよ」
「す、すまない…」

美鶴は智哉の苦手な話ばかりを振ってきた。それは智哉の苛立ちを更に増すことになり、その度に美鶴は智哉に謝っていた。だが、今日は何時もと違った。遠い過去がフラッシュバックする。泣きながら謝り続ける自分。自ら切り捨てて、空虚となった心。

「くっ…くくっ…あはは…」

笑った。哂い続けた。その哂いは醜く歪んでいた。何時か自分が見た義理の両親みたいに。

 

 

美鶴は初めて智哉の笑っている所を見た。だが、表情は陰になっていて上手く見えない。何時も不機嫌な顔をしている彼が笑い出したことに、若干の心の余裕と嬉しさが滲み上がった。

「…どうしたんだ?」

智哉は無視し、何事も無かったかのように歩き出した。やがて寮に到着し、すたすたと階段を上がっていく。美鶴は何もいわず後に続いた。智哉の後ろ髪がゆらゆらとゆれていた。

やってきたのは智哉の自室だった。智哉はドアを開けっ放しにして中に入っていく。入って来いという意思表示を感じ、美鶴も後に続いた。部屋の中はシンプルにまとめられて、綺麗に纏まっている。夕暮れの光が僅かにカーテンの隙間から漏れていた。

「悪い、閉めてくれ」

智哉は制服の上着をハンガーに掛けながら呟く様に言った。美鶴は言われるままにドアを閉めた。

「…何処か座って」

何処かと言いつつもベッドの上をぽんぽんと叩いた。美鶴は妙にトーンの上がった智哉の声に戸惑いながらも、言われたとおりに座った。

「動くな」
「え…あ…っ」

智哉が覆いかぶさるように迫ってきた。反射的に逃げようとするが、智哉は両手で美鶴を思いっきり押さえつけた。

「い…っ…………!」

苦悶の声は直ぐに出なくなった。その理由が口を塞がれてるからだと気づくまでに、少しの時間がかかった。

「………っ!」

体を動かそうとするが、全く動かない。思考を働かそうとするが、何も考えられない。智哉の舌が自分の口の中に差し込まれていく。意識がぼやけていく。視界が赤と黒に染まっていく。最後に見たのは智哉の深い蒼の瞳だった。

 

 

美鶴はその後全く抗わなかった。
智哉は弄ぶ様に美鶴の処女を奪った。
その一部始終に智哉は至高の悦びを感じていた。
二人のファーストキスは、血の味がした。

inserted by FC2 system