外に出ると、冷えた風が体を横切った。

小さな雨音が不規則なリズムを立てて落ちてくる。暗い。既に日は沈み、外が暗い靄がかかったみたいに霞んで見えた。雨はやむ気配が無く、むしろ風と共に強くなっているような気がした。
久しぶりの雨だった。数日前の出来事が頭を過る。父親との別れ。押し潰されそうなほどの重圧感。気持ちの持ち様だとは分かっていても、如何しても拭えなかった。異様な静けさと、暗闇。

「美鶴」

しょうがない、と一歩踏み出そうとした瞬間。不意に声をかけられた。

「……智哉」
「傘忘れたのか」
「ああ、部屋に置きっ放しにしたみたいだ…時計も忘れるし、災難だな」

智哉は白い傘を持っていた。彼には雨が降ると忠告したのに、本人が忘れるとは…美鶴は皮肉めいた笑いを浮かべた。

「重症だな」
「…全くだ」

智哉は鼻で笑った。彼なりに気を配っているのだろうか。

「……ほら」
「…?」

突き出すように美鶴の前に傘が差し出される。美鶴はその傘と智哉を見比べてしまう。

「何呆けてるんだ。使えよ」
「だが、これを貸したら智哉、君が」
「死にそうな面した奴が俺に気を配るな」

グッと更に傘を突き出してくる。物を言わさない口調に、美鶴は一瞬言葉を見失ってしまった。

「…そんなに酷い顔をしてるか」
「自分で分からないのか、今にもこの雨に溺れそうな顔してるぜ」

その言葉に背筋が凍りついた。地面がぬかるんで、今にも美鶴を引きずり込もうとて蠢いているように見えてしまう。

「…困った奴だ」

そう言って、智哉は傘を差した。雨が雄々しい音を立て傘に降り注いだ。

「帰るぞ」
「…は?」

眉を顰めながら、智哉は美鶴を押し出した。降り注ぐ雨は服の裾を汚し、地面の感触はぶよぶよとして、少し眩暈がした。だが、体は雨に打たれなかった。

「あ…智哉?」
「……もっと寄れ、俺が濡れる」

そう言って智哉は美鶴に傘を渡し、その肩を抱く。必然的に彼とペースを合わせるような形になる。ここでようやく美鶴は自分の状況を把握した。

「と、智哉…?」
「……」

智哉は黙って美鶴の横を歩いている。木製の柄には彼の体温が残っている。美鶴の胸中は複雑だった。智哉が気遣ってくれる事も、今の状況は自分にとっても嬉しい。だが、同じ傘で帰るということはそれだけ密着するという事。もし誰かに見られたりでもすれば…死ぬほど恥ずかしいような、嬉しいような…傘を返してしまえばいいんだけど、もう外に出てるし、一緒に帰りたいと言う気持ちも――

「もしもし、順平?悪いんだけど、駅まで傘持ってきてくれないか?」

智哉はそんな美鶴の気持ちを知らずか、寮に電話をかけていた。美鶴は浮かれてた自分が恥ずかしくて頭が真っ白になってしまった。足が棒のようになってしまい、よたよたと歩調が乱れてしまう。

「……おいおい、大丈夫か?」
「え!?あ…あぁ、大丈夫、だ」

何時の間に電話が終わっていたのか、智哉が美鶴の顔を覗き込んでいる。急に恥ずかしくなってどもってしまった。

「…はぁ、はがくれでも行くか?」
「……伊織を呼んだんじゃないのか」
「待たせとけばいい。それより、アンタの方が心配だ、俺は」

呆れた様に笑うと、私の傘を取る。フッと腕が軽くなり手の中の体温が離れていく。風も雨もすっかりと弱くなり、殆ど止んでしまっている。だが、智哉は傘を差したままで、美鶴はその傘の下で、二人並んで帰っていった。

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