視界を黒一色に染める夜中だというのに、鳴り響く携帯の着信音で目が覚めた。未だ覚醒しない耳を頼りに、寝ぼけた頭で携帯を探し出し通話ボタンを押す。深夜だというのに、向こう側からは随分賑やかな雑踏の音が聞こえてきた。

「……もしもし」

「…智哉、?……」

落ち着いた物腰の女性の声が聞こえてきたが、肝心の名前の部分が聞き取れなかった。だが、どこかで聞いたことのある声色。だが、年上の女性の知り合いなんてそれこそ数えれるぐらいしかおらず、誰一人としても該当はしない。

「…切るぞ」

自分の言葉に、受話器の向こうで相手が笑ったような気配がした。

「智哉、明日デートしよう」

智哉は通話を切った。そしてそのまま、深いまどろみに意識を落としていった。

――――――――――

寝不足だった。何故だか昨晩の相手が気になってしまい、良く眠れなかった。
今日から三学期初頭。頬を舐める風は一段と冷たく、身を包む寒さは一段と厳しい。
そして、運命の一ヶ月。立っている場所は危機の上に成り立っていて、崩れそうな世界。

「……ねむ」

空気中に塵屑一つも無いのだろうか。光が空気に反射し、視界が点滅して眩しい。今日からまた、最後に向けて本格的にタルタロスの探索が始まる。面倒臭いと思いつつも、一応はリーダーを任かされている身。何もせずに寮に帰る事にする。
そういえば、先程順平と話した、昨晩の話。

「お前、それストーカーじゃねぇの?」

確かにそうかもしれない。美鶴しか知らない俺の携帯の番号を知っていた。だが、どうでもいい。とりあえず、出会ったら眠れなかった昨晩の恨みを叩き込むだけだ。
寮の一歩手前で、奇妙な視線を感じた。反射的にその方向に首を回す。樹に寄りかかる形で、私服の美鶴が立っていた。冬空の鋭い陽光を身に受け、微笑を浮かべて立っている。

「……美鶴」

「智哉。遅かったな」

目の前の女。何時もと変わらない表情、何時もと変わらない声色。確かに美鶴のはずだが…何処か雰囲気に違和感を持った。ただ単に自分が眠たいから、そうぼやけて見えるだけなのかもしれないが。

「この後暇なら、何処か出かけないか?」

美鶴は微笑んでそう言った。その声は…何だか何時もと違うような。いや、違う。だが、目の前に立っているのは確かに美鶴だった。美鶴は俺の怪訝や警戒を含む視線を受けながら、少しも動かずに受けている。その長い鮮やかな赤い髪だけが、風に揺られている。

「……昨日の電話、お前か?」

思わず尋ねると、美鶴は頷きもせずに手を振った。そして、俺に背を向け歩き出す。堂々と、壮烈な美しさを携え、存在感を持って俺の前を歩いていく。

「…行くなんて、言ってねぇぞ」

自分の声が掠れて聞こえたような気がした。美鶴ではない美鶴。この女は一体何者か。

「じゃあ、来ないのか?」

逆光に遮られ、シルエットしか見えない美鶴。だが、それだけでも十分に美しく、貫くほどに鋭い影が、俺の影を射抜いていた。

「……行けば良いんだろ」

ただ、それだけしか言葉が出てこなかった。無意識に頬を掻いてしまう。美鶴が、瞳だけで微笑した気がした。

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