甘い匂いがする。
ふと、私はそう思った。正確には、何かお菓子の匂い。それも、凄く濃くて甘い香り。それは、視界の隅に映る彼が元なのだろう。だって、今この場には私と彼しかいないのだから。
「兄様、私はまだ勉強中なのですが……」
声をかけると、彼は少し驚いた素振りを見せて、だけど直ぐにその表情を元に戻した。
「相変わらず難いんだね。コゥ」
そう笑いながらゆっくりと近づくと、私の直ぐ隣で立ち止まった。何故だろう、少しだけ緊張する。
「コゥ」
呼ばれて振り向いた瞬間。口内に甘い匂いと柔らかい感触が広がった。それがチョコレートだと理解するのに、少しばかりの時間がかかってしまった。
「…っ」
「お疲れ様。少しは休憩しないと」
笑いながら私の手を取る。触れる手は少し冷たくて、その感触が心地良い。
「……ありがとうございます」
一言返すだけで精一杯だった。呆れるよりも、怒るよりも先に、笑って返した。
「何時も、そう笑えば良いのに」
「え?」
彼の言葉の意味が判らずに聞き返しても、何でもないとはぐらかされた。気になっているけど、それ以上は聞けなくて。ただ彼の声が鼓膜の奥に入り込んでいく。
「じゃあ、私は帰るよ」
結局何しに来たかも判らないまま、彼は離れていく。その後姿を見つめながら、私な小さな溜息をついた。と、手の中に何かある。開くと、其処にはチョコレートが二つ。何時の間に。
既に彼の姿は無くて。私はその小さなチョコレートをポケットの中にしまいこんだ。
今のこの想い。喜びとか胸のときめきとか。唇に僅かに触れた、彼の指の感触とか。
このチョコレートを食べる度に、きっと思い出す。